拙著刊行に当たって
このたび、本邦初のハルムス研究書である『理知のむこう――ダニイル・ハルムスの手法と詩学』を未知谷より上梓しました。本の内容についてここで説明することはしませんが、当サイトの趣旨とも関わる形式面について、少しばかり述べておきたいと思います。
注と参考文献について
拙著の「まえがき」にも記したとおり、博士論文に付していた注はほぼそのまま残し、典拠とした文献を都度、明示しました。多くの方々にとっては不要であるばかりか煩雑でさえあるでしょうから、適当に読み飛ばしていただいて結構ですが、注を残した理由を以下にご説明します。
これまで私はどの論文においてもたくさんの参考文献を引きながら書くよう努めてきました。それは、後進の研究者に役立つように、という明確な目的あってのことです。それこそ当サイトを設立した直接の動機でもあります。
私が博士課程に進学し、ハルムス研究に着手したとき、何から始めるべきか(読むべきか)、手探り状態でした。日本語で書かれているハルムス論はごく僅かで、いずれも専門性が高く、大変貴重とはいえ、それだけでハルムス研究全体を把握することはできません。
容易に想像がつくと思いますが、かなり高い語学能力の持主でも、ロシア語の本だけを手掛かりに一から調査してゆくのは、かなり骨の折れる作業です。ましてや私は決して出来のよい学生ではなく、他にも色々な事情を抱えていたため、先はまるで見えませんでした。
次世代の研究者にはもうこの種の苦労は無縁になります。ずっと先の、ずっと奥深いところで時間を割いていただきたく思います(そもそも私のように不出来な学生が博士課程に進学することは稀かもしれませんが…)。
ただし、最新の文献も数多く紹介したとはいえ、近年のハルムス研究の進展具合を勘案するに、鮮度を保てるのは7-8年かなと思っています。これは個々の論文の鮮度ということではなく、拙著の文献案内としての鮮度のことです。
博論提出以降(2017年以降)にロシアで刊行された本はあまり紹介できませんでしたので、ここで重要なものを3冊補足しておきます。最初に挙げたゲラーシモワの本には、「オベリウ(滑稽の問題)」など、雑誌に単発で掲載された論文が一挙に収録されています。
Герасимова. А. Г. Проблема смешного: Вокруг ОБЭРИУ и не только. М., 2018.
(ゲラーシモワ『滑稽の問題――オベリウをめぐって』)
Мейлах М. Б. Поэзия и миф. Избранные статьи. М., 2018.
(メイラフ『ポエジーと神話』)
Панова Л. Г. Мнимое сиродство: Хлебников и Хармс в контексте русского и европейского модернизма. М., 2017.
(パノーワ『まやかしの孤独――露欧モダニズムのコンテキストにおけるフレーブニコフとハルムス』)
翻訳について
博士論文には、俎上にのせた『エリザヴェータ・バーム』『報復』『フニュ』それぞれの全訳を付していました。何名かの先生方からはご好評をいただいていたものの、書籍化するに当たり、それらを省きました。頁数が増えすぎ、価格が高くなりすぎるなど、理由はいくつかあります。
全訳テキストと論文の二つをセットとして考えて博論を書きましたので、いつか発表する機会に恵まれれば、と願っています。
(2019年ひな祭りの夕に)
↑の文章を書いてまもなく、翻訳の出版が決定しました(7月23日付記)。
〈本書目次〉
まえがき
序章
(ハルムスの略歴/研究史/理知のむこう/本書の構成)
第1章 変貌するザーウミ――オベリウ以前のハルムスの詩学
(オベリウ宣言/ザーウミとは何か/音のザーウミから意味のザーウミへ/手法の分析/意味の地層)
第2章 音のザーウミへの鎮魂歌――『エリザヴェータ・バーム』の源泉
(戯曲に潜る/レノーレ譚/クルチョーヌィフ/エリザヴェータ・バーム)
第3章 ファウストの軌跡――オベリウ期のテキストにおけるモチーフの研究
(過渡期のテキスト/争い/対話/和解/フニュの軌跡/散文へ)
第4章 分散と結合――粒子としての『出来事』
(『出来事』の二つの顔/幾何学の問題/出来事と物語/不可視の関係/超-物語)
第5章 ハルムスは間違える――『老婆』における「妨害」としてのザーウミ
(いま、ここにあるザーウミ/小さな過ち/妨害/『老婆』における「妨害」/おわりに)
結論
跋(沼野充義)