「崎」と「﨑」、あるいは「青が消える」其之一

宮「崎」駿と宮「﨑」駿。異なる表記について、2018年から強い違和感を抱いてきました。自分のこの違和感の正体は、2つに大別できます。1つ目は、苗字がなぜ「﨑」と表記されるようになったのか分からないこと。2つ目は、さまざまな場で説明もなく苗字が「﨑」と表記されることが増加し、それにもかかわらず、違和感を抱いている反応がほとんど見られないこと。1つ目は、宮崎駿の動機にかかわるもので、2つ目は、世間に対する違和感です。今回はまず1つ目について書くことにします。(2つ目については後日。)

 

1つ目について。7月26日に叶精二さんが詳しくtweetされていますので、事実関係についてぼくが付け加えることはあまりないのですが、一応、画像を挙げながら、自分なりに考えてみようと思います。

これまで宮崎駿は、自筆のサインでは「﨑」を多く使用してきました。

『出発点』より
『出発点』より
「ウィンズ」Japan Airlines 1994年6月号(『出発点』より)
「ウィンズ」Japan Airlines 1994年6月号(『出発点』より)
クルミわり人形とネズミの王さま展
『クルミわり人形とネズミの王さま展』パンフレット

一方で、「みやざきはやお」というひらがな表記もしばしば見られます。

『TAMIYA NEWS』1986年1月号(『出発点』より)
『TAMIYA NEWS』1986年1月号(『出発点』より)
『毛虫のボロ』パンフレット
『毛虫のボロ』パンフレット

映画監督として「宮﨑駿」が初めて用いられたのは、ジブリ美術館用の短篇『毛虫のボロ』(2018年)です。ただし、やはり美術館用の短篇『くじらとり』(2001年)で「宮﨑はやお」とクレジットされていたことを、先の叶氏のtweetで知りました。つまり、宮崎駿が監督を務めた映画で、これまで「﨑」が用いられたのは、『くじらとり』(2001年)、『毛虫のボロ』(2018年)、そして『君たちはどう生きるか』(2023年)の3本ということになります。

宮崎駿が昔から自筆では「﨑」を多用していたことを勘案すれば、アニメーション映画でも「﨑」でクレジットするのは自然なことかもしれません。では、そういうケースがなぜ3つしかないのか、しかもなぜ近年に集中しているのか。その疑問については、氷川竜介さんの7月26日のtweetが1つの有力な答えになりえます。「タツサキが第三水準フォントなのが化けにくくなったことを背景に、なるべく戸籍に合わせましょうという全体の運動ではないかなと思います」。

 

氷川氏は同じtweetで、「「ぴあ」のパートワークでは、ずいぶん前から「出崎統」ではなく「出﨑統」表記です。誰も言及せず違和感」とも述べています。第三水準漢字に「﨑」の追加されたのは2004年ですが、windows XPなどの古いOSでは文字化けを起こしていたようです(「パソコン用語集 環境依存文字」)。そのXPのサポートが終了したのが2014年。宮崎駿が手書きでは「﨑」でも活字体で「崎」だったのは、単にJISの規格の問題だった可能性があります。

 

2001年に上映された『くじらとり』では、クレジットが各スタッフの自筆でしたので、「﨑」を試したのかもしれません。「はやお」がひらがな表記なのにも、そういう「試し」が、遊び心が感じられます。興味深いことに、同作のパンフレットの最後のページに掲載されている活字体のスタッフリストには、「崎」と表記されています。一方、2018年上映の『毛虫のボロ』では、手書き(風?)クレジットも、活字体スタッフリストも、どちらも「﨑」です。

両方とも『くじらとり』パンフレット
両方とも『くじらとり』パンフレット

では、宮崎駿はずっと「﨑」でクレジットしたかったのでしょうか。

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。少なくともみずからの監督作で、名義をめぐる実験や工夫が顕在化したのは、2001年に開館したジブリ美術館のための短編映画を制作するようになってからです(ただし、TVアニメの原画マンや漫画家としては、複数のペンネームを使用していました)。

 

これらの短篇には、名義以外にもしばしば実験的な試みが見られ、そこでの実験が、のちの長篇アニメーション映画に活かされるケースがあります。たとえば『やどさがし』における、人の声による効果音は、『風立ちぬ』にも活用されました。

 

同様に、『くじらとり』をはじめとする、役職名を省いた手書きクレジットは、『ポニョ』に応用されました。こうして、美術館用短篇での実験を通して芽生えた、名義に工夫をこらそうとする意識が、自筆のサインでは多用していた「﨑」を長篇アニメーション映画の監督作にクレジットする試みへ発展したのではないか。そう仮説を立てることは、一応可能です。

 

しかし、注意しなければならないのは、名義/ペンネームを変えることには大きな意味が伴うということです。たとえば、ロシアの作家チェーホフは、初期のユーモア短篇で「チェホンテ」というペンネームを多用していましたが、より本格的に文学に参入するにあたり、本名の「チェーホフ」を用いはじめます。今では、チェーホフが駆け出し作家だった頃は、「チェホンテ時代」と呼ばれています。

 

興味深いことに、『熱風』2012年4月号はチェーホフを特集しています。また、チェーホフはジブリ美術館の企画展示「幽霊塔へようこそ展 通俗文化の王道」(2015年)にも登場します。宮崎駿は、通俗文化の流れのなかにいる人物として、チェーホフのシルエット姿を描いています。すぐ近くには、『ポニョ』創作の一つのきっかけとなった夏目漱石のシルエットも。宮崎駿は、漱石ばかりでなく、チェーホフもよく読んでいたのでしょう。したがって、チェホンテ/チェーホフのペンネーム問題も知っていたと考えられます。

 

いずれにしろ、「﨑」表記を使用できないまま、宮崎駿は引退しました。その結果、宮崎駿の長篇アニメーション映画においてペンネーム問題が生じることはありませんでした。

 

ところが、2016年秋に放送されたNHKのドキュメンタリー『終わらない人 宮﨑駿』(2017年DVD発売)で、引退を撤回。注目すべきは、このドキュメンタリーの題字が「﨑」表記になっていることです。ちなみにこの題字を書いたのは鈴木敏夫。

 

そして、引退撤回後はジブリの公式サイトでも、次第に「﨑」表記に統一されるようになります。『熱風』と公式サイトに毎月掲載される「野中くん発 ジブリだより」では、2021年3月頃から「﨑」表記に変わりました。また、2020年12月に開設された公式Twitterでは、2022年になってから「﨑」表記です。ただし、当初は表記に揺れが見られました。典型的なのは、2022年2月17日のtweetです。そこでは「﨑」と「崎」が混用されています。

 

『毛虫のボロ』(2018年)と『君たちはどう生きるか』(2023年)に「﨑」が現れるのは、この一連の流れのなかです。息子の宮崎吾朗監督が依然として「崎」表記のままであることも、宮「﨑」駿の異質さを際立たせています。宮崎吾朗監督『アーヤと魔女』の劇場公開を伝える「野中くん発 ジブリだより」(2021年3月10日)では、「企画:宮﨑駿、監督:宮崎吾朗」と記されています。

 

以上から、宮崎駿は引退撤回を機に、自筆ではこれまで多用してきた「﨑」を、美術館用短篇では試したことのある「﨑」を、長篇アニメーション映画監督作にクレジットすることを、みずから積極的に選び取ったのではないか、と推測することが可能になります。そしてそれは、どうやらスタジオジブリの総意のようです。

 

やはり自筆サインでは多用している「みやざきはやお」でも、美術館用短篇で一度試した「宮﨑はやお」でもなく、他でもない「宮﨑駿」であることは、「﨑」を使用することに制約がなくなったことが、今回の「改名」の一番大きな理由であることを窺わせます。

リミッターが外れ、より自由になったと言えるでしょう。

 

一方で、本当に宮崎駿は進んで「﨑」を選び取ったのだろうかと、疑念を払拭しきれないのも事実です。NHKのドキュメンタリー『終わらない人 宮﨑駿』(2016年)が、『毛虫のボロ』(2018年)に先行しているのも引っかかります。こういう疑念が生まれてくるのは、宮崎駿自身の説明のないことが一番大きいですが、それ以外にも、その周辺に対するさまざまな不審が背景にあるからです。というわけで、「世間に対する違和感」について、回を改めて書くことにします。