新海誠『すずめの戸締まり』と村上春樹 ("Судзумэ, закрывающая двери" Макото Синкая и Харуки Мураками)

新海誠監督『すずめの戸締まり』、初日に観てきました。

公開日が11月11日と知って以来、2022年の中心をこの日に据え、万全の状態で観るために諸々調整してきました。

 

公開記念として、以下、村上春樹の小説との類似という点について、気づいたことをすこし書いておこうと思います。

 

今作『すずめの戸締まり』は、東日本大震災を真正面から取り上げた「震災文学」の系譜に連なる作品です(もちろん今作は映画ですが、新海監督自身が『新海誠本』の中で「震災文学」と表現しているので、それに倣います)。

 

『すずめの戸締まり』では、地震をはじめとする災厄の元凶は、「後ろ戸」と呼ばれる扉から奔出する「ミミズ」として視覚化されています。この「ミミズ」は普通の人の目には見えません。「閉じ師」と呼ばれる一部の人か、後ろ戸を開いてしまったすずめのような、特殊な条件下の人しか見ることができません。

 

地震とミミズ。この組み合わせにピンときた人は多いだろうと思います。村上春樹『かえるくん、東京を救う』にも同じ組み合わせがあるからです。この短篇小説では、「かえるくん」が「みみずくん」と地下で戦います。なぜなら「みみずくん」は地震を引き起こすことができ、「かえるくん」はそれを阻止したいと願うからです。

 

『すずめの戸締まり』と『かえるくん、東京を救う』の類似点は、この組み合わせだけでなく、テーマにも及んでいます。『すずめの戸締まり』の中に、「大事な仕事は、人からは見えないほうがいいんだ」という台詞がありますが、村上春樹の短篇でも、まさにこの点が強く打ち出されています。「かえるくん」は「みみずくん」との報われない戦いを人知れず行ない、そしてその戦いへの協力を、やはり人知れず報われない仕事をつづける片桐という会社員に頼むのです。

 

ところで、新海誠監督が村上春樹の小説に言及するのは、『すずめの戸締まり』が初めてではありません。これまで自身の多くのアニメーション作品で、直接的・間接的に言及してきました。

 

たとえば『君の名は。』は、村上春樹の『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』という短篇小説に強い影響を受けています。それは新海監督も認めており、スガシカオとの対談の中で、「『君の名は。』はあの短編のオマージュです」とまで言っています。

 

新海誠監督の『雲のむこう、約束の場所』、『秒速5センチメートル』、『言の葉の庭』などには、村上春樹の小説の言葉が響いています。たとえば『ノルウェイの森』の中の、「僕ひとりだけが、その風景に馴染んでいないように思えたからだ」とか、「まるで我々三人だけが世界のはしっこにとり残されたみたいに見えた」といった言葉は、『雲のむこう』のヒロキとサユリの独白「ぼくだけが(わたしだけが)、世界からひとりきり、とり残されている。そんな気がする」を連想させます。

 

さらに、「ねえ、私たちなんだか川を泳いで渡ってきたみたいよ」という『ノルウェイの森』の緑の言葉は、『言の葉の庭』のユキノ先生の台詞として、ほとんどそのままの形で用いられています。

 

ほかにも、『雲のむこう、約束の場所』では、劇中に村上春樹『アフターダーク』(パイロット版では村上春樹『海辺のカフカ』)が映るカットがあります。そもそも『雲のむこう』のヒロイン・サユリに体現されている「眠りつづける少女」というモチーフは、『アフターダーク』に見られたものです。

 

もうこの辺りでやめておきますが、このように何度も村上春樹の小説に言及してきた新海誠作品の中でも、今作『すずめの戸締まり』は、その影響がより色濃く、より広範囲で、より直接的であるように思えました。

 

…と、長々書いてきましたが、公開初日なので、内容にはあまり深入りせず、このへんで…。