「くつろぎ」の発明

ぼくは最近引越したのですが、新居に新たに購入すべき家具・調度品はかなり吟味しました。絨毯、本棚、テーブルは、自分の中で一定の基準を満たしたものだけを選んで置いています。基準というのは、「安心」や「くつろぎ」でした。

 

ヴィートルト・リプチンスキー『心地よいわが家を求めて』で明らかにされているのは、その「くつろぎ」という概念がヨーロッパでいかに発明され、いかに変遷してきたかという歴史です。

 

リプチンスキーによれば、「くつろぎ」はおろか、その前提である「家庭」でさえも、歴史的に形成されてきた概念だそうです。「くつろぎ」は中世ヨーロッパには存在せず、ようやく誕生した後も、建築家からしばしば蔑ろにされてきたと言います。

 

また、現代の住まいにおいても見た目のほうが「くつろぎ」より重視される傾向にあることを、著者は嘆いています。生活感がなく、凝った装飾を排除したミニマルデザインがもてはやされる現状には、ぼくも不満を持っていたので、リプチンスキーの意見が日本で浸透することを期待します。

 

さて、リプチンスキーのこの本は、「知の考古学」の系列に属すると考えられます。ここで言う「知の考古学」とは、フランスの思想家フーコーの一連の仕事(同名の書物のみならず)の性格を指していると考えてください。古生物学者が骨片から古生物の全体像を復元するように、フーコーは過去の史料から当時の知のあり方全体(エピステーメー)を復元します。

 

フーコーの方法を採る人は、他の分野にもいます。たとえばフィリップ・アリエスは、『子供の誕生』で「子供」という概念が歴史的な形成物であることを明らかにしました。また、日本では柄谷行人が『日本近代文学の起源』において、「風景」が「発見」された経緯について明らかにしています。

 

このような「知の考古学」の方法を、 リプチンスキーは 「家庭」という非常にありふれた対象に適用したと言えるように思います。その意味では、本書は知的刺激に満ちた優れた研究書です。

 

と同時に、家庭での居心地のよさという誰にとっても身近な問題を取り上げた、楽しい本でもあります。

 

残念なことに、本書はどうやら日本であまり流通しておらず、図書館でも所蔵している所は多くないようです。それなら、せっかくなので図版を増やし(図版の僅かなのが不満でした)、再刊してほしいですね。