派ウリベオ

派ウリベオ

リジヤ・レスナーヤ

*赤字は訳者による注 

 

 分からない? 当たり前だ! そうしているのだ。リプコーフスカヤ(訳注1)の名前が後ろから書かれていようが前から書かれていようが、どっちにしろ人は彼女の歌を聴きに行くだろう。では試しにクローパチェフの名前を上下逆さまに書いて(訳注2)、ホールを満席にしてみたら? 無理だろう。

 

訳注1 20世紀前半に活躍したオペラ歌手

訳注2 1928年1月24日に「出版会館」で行われたオベリウの夕べ<左翼の三時間>の宣伝ポスターには、詩を朗読すると予告されていたクローパチェフの名前が上下逆さまに印刷されていた。

 

 昨日「出版会館」で行われたのは、ちょっと書くのを憚られるようなことだった。オベリウ派(「リアルな芸術の結社」のことだ)が余りに傍若無人だったので、聴衆もひどく軽薄になってしまっていた。口笛、嘲笑、叫び声、パフォーマーたちとの自由な意見交換。

 「これから詩を二つ朗読します」オベリウ派の一人が言明する。

 「一つにしてくれえ!」ホールで誰かが懇願するような唸り声を上げる。

 「いえ、二つにします。一つ目は長いやつ、二つ目は短いやつ」

 「二つ目のだけ読んでください」

 しかしオベリウ派はつれない。一旦読み始めると、首尾よくまとまっているとは言い難い結末まで読み上げてしまった。

 <左翼の三時間>は、未来派(訳注3)が着用した縞模様の上着の記憶も、フェクス(訳注4)の大騒ぎの記憶も呼び覚ました。当時「誰にも理解できなかった」バリモントまで思い出した人もいる。

 

訳注3 ロシア未来派は主に1910年代に奇抜なパフォーマンスやザーウミと言われる意味を超越した新造語で聴衆を沸かせた。

訳注4 1921年~1926年までペトログラードに存在した、演劇・映画の分野における若手創作家集団。「フェクス」は「エキセントリックな役者たちの工場」の頭文字を並べた略語。

 

 「あの人たちったら自分たちに教養があるところを見せたくて、訳の分からないことばかり喋っているんですわ」

 早くもチェーホフはオベリウ派についてそう言っている。(訳注5

 

訳注5 チェーホフの一幕劇『結婚』(1889年)に登場する下級官吏の娘の台詞。もちろんオベリウは無関係。

 

 重要なのは次のことではない。つまり、ザボロツキーの詩が非常に明瞭且つはっきりとした弱強格で出来ている素晴らしい詩だということが重要なのではない。また、ヴヴェジェンスキーの詩が劣っていることが重要なのでもない。そうではなく、ぞっとするような彼のザーウミが馬鹿げていたこと、『エリザヴェータ・バム』が皮肉なくらい明白な騒乱であったということが重要なのだ。[上演後に行われた] 公開討論で白状されたところによれば、誰一人としてそれがさっぱり理解できなかったようだ。

 客席から自然と湧いて出た核心をつく質問がこれだ。

 「何のために!? どうして!? 誰にこんな見世物が必要なの?」

 チェック柄の帽子、赤毛の鬘、玩具の仔馬。面白くもない曲芸を披露する陰気な試み、まるで魅力のない事物。

 未来派たちが頬にシャープ記号(#)を描いたのは、ブルジョアを吃驚仰天させてやるためだった。

 1928年の今日、赤毛の鬘では誰も驚かないし、怯えたりすることはない。

 聴衆の強い要望によって開かれた討論会では、活発に発言がなされていた。

 「オベリウ派について私の意見を申し述べたいところなのでありますが」詩人同盟の議長が発言した。「それはできかねます。というのも私は公の人間であり、またこのホールには女性がいらっしゃいますからね」

 それにもかかわらず、『エリザヴェータ・バム』の作者の表現を借りて、オベリウ派自身は自分たちについてこう話すのだった。

 「鳥を買いに行くなら、それに歯が生えているかどうかを確認しなさい。もし歯があれば、それは鳥ではないのだよ」

 「それならゴキブリだ」ある観客が突っ込んだ。

 

 

『赤い新聞』1928年1月25日夕刊

著者はジャーナリスト、児童文学作家。